モロッコ王国、通称モロッコの紹介。モロッコ王国の歴史や地理、地方行政区分、経済、文化、国民性など、モロッコ王国に関する基礎的な知識をまとめて紹介しています。
○食文化
モロッコ料理は長らく世界で最も多様性に富んだ料理の一つと見なされてきた。これは数世紀に及ぶモロッコと外部世界の相互作用の結果である。モロッコ料理はベルベル、スペイン、コルシカ、ポルトガル、ムーア、中東、地中海、アフリカの各料理の混合である。モロッコ料理は土着のベルベル料理、スペインから追放されたモリスコがもたらしたアラブ・アンダルシア料理、トルコ人によってもたらされたトルコ料理、アラブ人がもたらした中東料理の影響を受けており、ユダヤ料理の影響も同等である。
香辛料はモロッコ料理に広く使われる。香辛料は数千年来モロッコに輸入され続けたが、ティリウニのサフラン、メクネスのミントとオリーブ、フェスのオレンジとレモンなどの多くの材料は自生のものである。モロッコで最も一般的に食される赤味の肉は牛肉であり、国産の羊肉は好まれるが相対的に高価である。主なモロッコ料理としてはクスクス、タジン、ハリーラなどが挙げられる。アッツァイと呼ばれるミント緑茶に大量の砂糖を加えて飲む習慣がある。
○文学
モロッコ文学はアラビア語、ベルベル語、フランス語で書かれる。アル=アンダルスで発達した文学もまた、モロッコ文学に位置づけられる。ムワッヒド朝下のモロッコは繁栄の時代を経験し、学術が栄えた。ムワッヒド朝はマラケシュを建設し、「史上初の書籍市」と呼ばれることになる書店を設立した。ムワッヒド朝のカリフ、アブー・ヤアクーブは本を収集することをこの上なく好んだ。彼は偉大な図書館を設立し、その図書館は最終的にカスバとなり、公立図書館となった。中世においてタンジェ出身のイブン・バットゥータはアフリカ、アジア、 ヨーロッパに巡る大旅行の体験を述べた紀行文学『大旅行記』(『三大陸周遊記』、1355年)を著した。
近代モロッコ文学は1930年代に始まった。モロッコがフランスとスペインの保護領だったことは、モロッコの知識人に他のアラブ文学やヨーロッパとの自由な接触の享受からなる文学作品の交換と執筆の余地を残した。
1950年代から1960年代にかけて、モロッコは避難所、芸術の中心となり、ポール・ボウルズ、テネシー・ウィリアムズ、ウィリアム・S・バロウズのような作家を導いた。モロッコ文学はモハメド・ザフザフ、モハメド・チョークリのようなアラビア語作家や、ドリス・シュライビ、タハール・ベン=ジェルーンのようなフランス語作家によって発達した。現代の文学においては、モロッコ出身のフランス語文学者としてムハンマド・ハイル=エディンヌ、モハメド・シュクリ、ライラ・アブーゼイド、アブデルケビル・ハティビ、そして1987年に『聖なる夜』でゴンクール賞を獲得したタハール・ベン=ジェルーンなどが挙げられる。また、アラビア語モロッコ方言やアマジーグでなされる口承文学はモロッコの文化にとって不可欠の存在である。
○音楽
モロッコ音楽はアラブ起源のものが支配的である。その他にもベルベル人のアッヒドゥースやアブワース、黒人のグナーワ(「ギニア」に由来)、イベリア半島のイスラーム王朝からもたらされ、ヌーバと呼ばれて高度に体系化されたアル=アンダルス音楽など、多様な音楽の形態が存在する。
○世界遺産
モロッコ国内には、ユネスコの世界遺産リストに登録された文化遺産が8件存在する。
○サッカー
サッカーが盛んであり、代表チームは過去ワールドカップに4回出場、アフリカネイションズカップの優勝経験もあり、アフリカの強豪国の1つとして数えられている。著名なプロクラブとしてはウィダド・カサブランカ、ラジャ・カサブランカなどの名が挙げられ、イスマイル・アイサティやナビル・エル・ザールなどのように欧州で活躍している選手も存在する。2013年と2014年には自国でTOYOTA Presents FIFA Club World Cupが開催される。
○陸上競技
陸上競技のうち男子中長距離走は、同じアフリカのエチオピアおよびケニアと並んで屈指の強さを誇る。概してオリンピックや世界陸上においては、エチオピアは5,000m、10,000m、ケニアは3,000m障害そしてモロッコは800m、1,500mで世界一を輩出することが多い。1980年代の男子中長距離界を席巻したサイド・アウィータとヒシャム・エルゲルージは、とりわけ日本の陸上競技ファンや関係者の中でも有名であり、 ヒシャム・エルゲルージの出した1500mと1マイル、2000mの世界記録は未だに破られていない。
○格闘技
バダ・ハリ(IT'S SHOWTIMEヘビー級王者)はK-1世界ヘビー級王者戴冠後に「モロッコは世界的に自慢できるものがない国なんだ。だから俺がK-1世界王者として活躍する事によって、世界中の人々に“モロッコ?ハリの母国だよね”と言ってもらえるようにしたい。世界王者という部分が重要なんだ」と語っている。
○テニス
テニスは1986年に当時の国王ハサン2世の名を冠したモロッコ初のATPツアー大会、ハサン2世グランプリが開催されるようになってから次第に同国でも人気の盛り上がりを見せるようになった。1990年代に入るとユーネス・エル・アイナウイ、カリム・アラミ、ヒチャム・アラジという3人の男子選手が同時期に現れ、モロッコ初の国際的プロテニス選手として目覚しい活躍を残していくようになる。1961年に参加を開始したデビスカップのモロッコ代表も参戦以降長らく地域ゾーンの1チームに過ぎない弱小国であったが、代表を務めるようになった3人の活躍と共に次第に強くなっていき、彼らが全盛期を迎えた1990年代後半から2000年代前半には最上位カテゴリのワールドグループに通算5度の出場を果たすテニス強国の一角を占めるまでになった。3人の引退に伴う2000年代後半以降は次世代が育たなかったこともあり低迷しているが、2010年代に入り上記の3選手以来久しぶりにシングルスランキングで100番台に乗せてきたレダ・エル・アムラニのような若手も現れ始めている。
女子テニスにおいても2001年からラーラ・メリヤム王女の名を冠したWTAツアー大会SARラ・プリンセス・ラーラ・メリヤム・グランプリを開催しているが、その一方国内女子選手の育成は殆ど進んでおらず、2011年現在グランドスラム出場やツアーレベルに到達した選手は一人として現れていない、世界レベルとの隔たりが大きい状況にあるのが現状である。フェドカップのモロッコ代表も大会参戦開始は1966年と中東諸国の中でも最も早いものであったが、この年の出場後、1995年に再び参加するまで30年近く国際舞台の場に出ることはなかった。その後も断続的な参加を続ける形となっており、2010年現在までのの通算参加年数は僅か9年に留まっている。
参照元:ウィキペディア「モロッコ
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2004年にムハンマド6世の主導権によって新家族法が成立し、女性の婚姻可能年齢は18歳以上に引き上げられ、一夫多妻制についても厳しい基準が要求されるようになった。ただし、現在も一夫多妻制は条件を満たせば認められる。特に著名なモロッコのフェミニストとして、イスラーム教をフェミニズム的に読み替えることで男女平等の実現を達成することを主張するファーティマ・メルニーシーの名が挙げられる。
1999年にマイクロクレジット法が成立し、政府やNGO団体の協力により受益者が増えている。
○民族
歴史的に、条件の良い平野部の土地を中心にアラブ人が暮らし、アトラス山脈の住民の大半がベルベル人である。2/3がアラブ人、1/3がベルベル人あるいはその混血がほとんどと言われる事が多いが、実際のところは両者の混血が進んでいる事、また過去に存在したベルベル人の独立問題などもあり(リーフ共和国)、国家としてはあくまでも両者はともにモロッコ人であるという考え方の元、民族ごとの統計を取るなどの作業は行われていない。
モロッコのアラブ人には、イベリア半島でのレコンキスタや17世紀のモリスコ追放によってアンダルシアから移住した者もおり、彼等の中には現在でもスペイン風の姓を持つ者もいる。
ユダヤ人はモロッコ各地の旧市街に存在するメラーと呼ばれる地区に古くから居住していたが、イスラエル建国以来イスラエルやカナダなどへの移住により減少傾向が続いており、1990年時点で1万人以下である。その他にもブラックアフリカに起源を持つ黒人などのマイノリティも存在する。
○言語
アラビア語とベルベル語が公用語である[1]。国民の大半は学校教育で正則アラビア語を学習しつつも日常生活ではモロッコ特有のアラビア語モロッコ方言を話しているため、他のアラビア語圏の住人とは意思の疎通が困難である。また、かつてフランスの保護領であったためフランス語が第二言語として教えられ、政府、教育、メディア、ビジネスなどで幅広く使われ、全世代に通用する。一方、北部モロッコではスペインの影響が強く、スペイン語もよく通じる。公文書は基本的にアラビア語、一部の書類はフランス語でも書かれる。
山岳地帯では、タマジグトと総称されるベルベル語が話され、これらは大別してタシュリヒート語(モワイヤン、オートアトラス地域)、タスーシッツ語(アガディール地方、アンチアトラス地域)、タアリフィート語(リーフ山脈地域)に別れている。また、ベルベル人は、国内のアラブ人からはシルハと呼ばれるが、ベルベル人自身は自分たちをイマジゲン(自由な人の意)と呼ぶ。ベルベル語が話されないアラブ人家庭に生まれ育つとベルベル語は全く理解できない事が多く、両者は全く異なった言語である。
○宗教
1961年にイスラム教が国教となっており、イスラム教スンニ派が99%を占める。キリスト教とユダヤ教も禁止されてはいない。
○教育
7歳から13歳までの7年間の初等教育期間が義務教育期間となっているが、就学率は低い。モロッコの教育は初等教育を通して無料かつ必修である。それにもかかわらず、特に農村部の女子を始めとした多くの子供たちが未だに学校に出席していない。教育はアラビア語やフランス語で行われる。2004年のセンサスによれば、15歳以上の国民の識字率は52.3%(男性65.7%、女性39.6%)である[10]。非識字率は約50%であるが、農村部の女子に至っては90%近くにまで達する。
IMFの統計によると、2010年のモロッコのGDPは917億ドルであり[8]、日本の福島県とほぼ同じ経済規模である[9]。一人当たりのGDPも3,000ドルを超えており、アフリカでは比較的豊かな国でありアジアなどの新興国とほぼ同じレベルである。産油国ではないが、鉱業と軽工業など産業のバランスもよくアフリカでは経済基盤も発達している方である。埋蔵量世界1位のリン鉱石を中心とする鉱業と、生産量世界第6位のオリーブ栽培などの農業が経済に貢献している。大西洋岸は漁場として優れており日本にもタコなどが輸出されている。観光資源も豊かである(観光収入は22億ドルに上る)。工業国とは呼べないが、衣料品などの軽工業のほか、石油精製や肥料などの基礎的な諸工業が発達している(以下、統計資料はFAO Production Yearbook 2002、United Nations Industrial Commodity Statistical Yearbook 2001年を用いた)。その他ヨーロッパ連合諸国に出稼ぎ、移住したモロッコ人による送金も外貨収入源となっている。
○鉱業
鉱業生産は、リン鉱石(採掘量世界第2位)、鉛鉱(同7位)、コバルト鉱(同8位)が有力だが、銅、亜鉛、金、銀なども採掘しており、天然ガスも豊かである。ただし原油の採掘量は1万トンと極めてわずかである。鉱物資源はアトラス山脈の断層地帯に集中しており、アトラス山脈の造山活動によるものだと考えられている。例えば、マラケシュ近郊やメリリャに近いウジタで亜鉛や鉛が採掘されている。リンはカサブランカ近郊で採れる。
○農業
大西洋岸、地中海岸では天水に頼った農業が可能である。耕地面積は国土の21%を占める。農業従事者は429万人(2005年)である。
国際連合食糧農業機関 (FAO) の統計(2005年)によると、世界第7位のオリーブ(50万トン、世界シェア3.5%)、第9位のサイザルアサ(2200トン)が目立つ。世界シェア1%を超える農作物は、テンサイ(456万トン、1.9%)、オレンジ(124万トン、1.5%)、トマト(120万トン、1.0%)、ナツメヤシ(6万9000トン、1.0%)がある。主要穀物の栽培量は乾燥に強い小麦(304万トン)、次いでジャガイモ(144万トン)、大麦(110万トン)である。
畜産業は羊(1703万頭)、鶏(1億4000万羽)を主とする。
○工業
工業は、リン酸肥料(生産量世界第6位)、オリーブ油(同9位)が目立つが、ワインや肉類などの食品工業、加工貿易に用いる縫製業も盛んである。
○貿易
モロッコの輸出額は78億ドル。品目は、衣類 (32.3%) 、魚介類 (13.0%) 、電気機械 (9.9%) である。ここでいう電気機械とは電気ケーブルを意味している。リン鉱石は価格が安いため、品目の割合としては5位である。主な相手国は、フランス (33.5%) 、スペイン (13.0%) 、イギリス (9.6%) 。
モロッコの輸入額は116億ドル。品目は、原油 (12.0%)、繊維 (11.9%)、電気機械 (11.7%)。主な相手国はフランス (24.0%)、スペイン (9.9%)、イギリス (6.2%)である。輸出入とも相手国が同じであり、西ヨーロッパ特にフランスと強く結びついていることが分かる。このため、2010年を目標にEU圏と自由貿易地帯の関係を結ぶことを目標としている。
日本との貿易では、輸出がタコ(61.1%)、モンゴウイカ (7.3%)、衣類 (5.1%)の順で、リン鉱石も5位に入る。輸入は、乗用車 (32.4%)、トラック (28.6%)、タイヤ (5.6%)である。
参照元:ウィキペディア「モロッコ」
参照元:ウィキペディア「モロッコ」