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モロッコ王国、通称モロッコの紹介。モロッコ王国の歴史や地理、地方行政区分、経済、文化、国民性など、モロッコ王国に関する基礎的な知識をまとめて紹介しています。
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2004年にムハンマド6世の主導権によって新家族法が成立し、女性の婚姻可能年齢は18歳以上に引き上げられ、一夫多妻制についても厳しい基準が要求されるようになった。ただし、現在も一夫多妻制は条件を満たせば認められる。特に著名なモロッコのフェミニストとして、イスラーム教をフェミニズム的に読み替えることで男女平等の実現を達成することを主張するファーティマ・メルニーシーの名が挙げられる。
1999年にマイクロクレジット法が成立し、政府やNGO団体の協力により受益者が増えている。
○民族
歴史的に、条件の良い平野部の土地を中心にアラブ人が暮らし、アトラス山脈の住民の大半がベルベル人である。2/3がアラブ人、1/3がベルベル人あるいはその混血がほとんどと言われる事が多いが、実際のところは両者の混血が進んでいる事、また過去に存在したベルベル人の独立問題などもあり(リーフ共和国)、国家としてはあくまでも両者はともにモロッコ人であるという考え方の元、民族ごとの統計を取るなどの作業は行われていない。
モロッコのアラブ人には、イベリア半島でのレコンキスタや17世紀のモリスコ追放によってアンダルシアから移住した者もおり、彼等の中には現在でもスペイン風の姓を持つ者もいる。
ユダヤ人はモロッコ各地の旧市街に存在するメラーと呼ばれる地区に古くから居住していたが、イスラエル建国以来イスラエルやカナダなどへの移住により減少傾向が続いており、1990年時点で1万人以下である。その他にもブラックアフリカに起源を持つ黒人などのマイノリティも存在する。
○言語
アラビア語とベルベル語が公用語である[1]。国民の大半は学校教育で正則アラビア語を学習しつつも日常生活ではモロッコ特有のアラビア語モロッコ方言を話しているため、他のアラビア語圏の住人とは意思の疎通が困難である。また、かつてフランスの保護領であったためフランス語が第二言語として教えられ、政府、教育、メディア、ビジネスなどで幅広く使われ、全世代に通用する。一方、北部モロッコではスペインの影響が強く、スペイン語もよく通じる。公文書は基本的にアラビア語、一部の書類はフランス語でも書かれる。
山岳地帯では、タマジグトと総称されるベルベル語が話され、これらは大別してタシュリヒート語(モワイヤン、オートアトラス地域)、タスーシッツ語(アガディール地方、アンチアトラス地域)、タアリフィート語(リーフ山脈地域)に別れている。また、ベルベル人は、国内のアラブ人からはシルハと呼ばれるが、ベルベル人自身は自分たちをイマジゲン(自由な人の意)と呼ぶ。ベルベル語が話されないアラブ人家庭に生まれ育つとベルベル語は全く理解できない事が多く、両者は全く異なった言語である。
○宗教
1961年にイスラム教が国教となっており、イスラム教スンニ派が99%を占める。キリスト教とユダヤ教も禁止されてはいない。
○教育
7歳から13歳までの7年間の初等教育期間が義務教育期間となっているが、就学率は低い。モロッコの教育は初等教育を通して無料かつ必修である。それにもかかわらず、特に農村部の女子を始めとした多くの子供たちが未だに学校に出席していない。教育はアラビア語やフランス語で行われる。2004年のセンサスによれば、15歳以上の国民の識字率は52.3%(男性65.7%、女性39.6%)である[10]。非識字率は約50%であるが、農村部の女子に至っては90%近くにまで達する。
主な高等教育機関としては、アル・カラウィーン大学(859年)やムハンマド5世大学(1957年)などが挙げられる。

参照元:ウィキペディア「モロッコ
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